聖書

聖書おすすめの箇所と聖句を紹介

こんなタイトルでネタを書いてしまうと、かなり個人的な色が出てしまうものです。

 

聖句=聖書のフレーズ

 

クリスチャンと称する人に出会って、好きな聖句は何ですか?と聞くと、その人のことが色々わかります。

好きな聖句は何ですか?で全く出てこない人は聖書読んでいないですね。聖書にしかキリストの指示が書いていないのに、それを読んでいないクリスチャン(キリストの追随者と言う意味)がいるのが現代社会です。いや、どうでもいいんですけどね。最近クリスチャンと言うのは本来の意味をなくしているようですが、そんなことクリスチャンでない人からしたらどうでもいいことでしょう。はい。無駄話でした~~

 

聖書おすすめの箇所、聖句紹介3選(個人的好みです)

では、お勧めの聖書のフレーズいきます。正直私の心の内がわかりますねぇ。

あと解説のほうが長くしまうので、いくつも紹介はできるのですが、パッと思いついた3つくらいに抑えておきます。

その1:自分の考えよりももっと賢い神の考えに従う

人間って無力で不完全で生き方に迷ったり、失敗したなと思うことは多々あります。宇宙を作った存在がいて、その人間を超越した知恵を持つ方がおられるなら、その方の話から賢くなれるんじゃないかなと思います。それが自分と神との関係、その位置づけかなと思います。

「エホバ,私はよく知っています。
人は自分の道を定めることができません。
自分で自分の歩みを導くことができないのです。」-エレミヤ10:23

長い人間の歴史で根本的な問題はどんな時代も解決していないです。人は争い、病気になり、死に至る。ざっくりと抽象的に物事を見たら人間は他の動物と何ら変わりないです。生まれて、争って、子孫残して、死ぬ。野生動物の一生です。人間も野生動物も何ら変わらないと受け入れて生きていくのもいいですけど、それに不満を抱いた時に、宗教的探究が始まります。だって、多くの人は答えを出せないですから。

このエレミヤの聖句は人は無力だからあきらめるんじゃなくて、神に頼りましょうと言う流れです。ただ、神に頼ると言う言葉を曲解している人も多くいます。神に頼れば何もしなくていいとか聖書は全く言っていません。怠惰を聖書は非としていますが、度を過ぎた労働を推奨してもいません。

そして、個人的に好きなおすすめ聖句は以下になります。

「あなたを救う方,イスラエルの聖なる方,エホバはこう言う。
「私エホバは,あなたの神である。
あなたのためになる生き方を教え,
あなたを導いて正しい道を歩ませる。
あなたが私のおきてに注意を払いさえすれば!
そうすれば,あなたの平和は川の流れのように豊かになり,
あなたの正しい行いは海の波のように多くなる。」-イザヤ48:17,18

本文中の括弧と私がつけた括弧が被りますが、その部分は悪しからず。

神に従って行けば、楽になりますよ~~という聖書のフレーズです。

聖書を学べば学ぶほど生き方がうまくなっていきます。苦しみながら生きている人たちとの対比がかなり大きいです。

聖書って人を縛り付けると思われている人もおられるでしょうが、自分自身はさっぱりそういう感覚がないです。例えば、よくわからん儀式やしきたり完全無視。聖書に書いていること以外個人としてはどうでもいいと思っているので、数々の縛りがなくなります。貪欲を避けたり、嫉妬を戒める考えが聖書にはあるので、隣の家の人ががっぽり儲けても自分に影響ないですし、物を買う時に必要か?欲しいものか?という思考パターンを教えてもらっているので、生活の規模を大きくすることもないです。

結婚に関して、離婚することは問題ないという見方の人が多いと思いますが、私は聖書に従っているので、離婚をなるべく回避した生き方に賛同します。結果として安易に結婚しませんし、結婚したら幸せになるとかいう都市伝説を一切信用していません。そういうことは聖書に書いていないです。

そういう生き方楽しいの?とおっしゃる方いますが、クリスチャンではない友人からも、好き勝手生きていますね~~と言う評価いただいています。ただ、クリスチャンの原則をミスはあっても故意に冒していません。つまり、聖書を学べば学ぶほど自由を得て好き勝手出来る。やってはいけないこととやらなければいけないことのボーダーラインがはっきりわかってくる。実はクリスチャンと言う生き方は、たぶんどの宗教よりも自由ですね。

このイザヤの聖句をめちゃめちゃ実感して生きています。神に従えば宇宙のクリエイターの弟子になるし、僕らを作ったクリエイターだからその扱い方を最も知っているんですよね。だから、自分を作ってくれたクリエイターに従って生きるのは一番楽で性能を最大級発揮できる。また、そのクリエイターはかなり好きにしていい自由をくれているので、ロボットじゃないんですよ。その絶妙な匙加減が賢い。私に対する愛情も感じますね。

 

その2:エッセンシャル思考で行こう

グレッグ・マキューンのエッセンシャル思考って知っていますか?ビジネス書の中でも結構話題になることが多いのですが、この本を読んだ時に思ったのが聖書のこのフレーズです。

「皆さんがより重要なことを見極め,キリストの日までずっと純粋でいて,人の信仰を妨げることがありませんように。」-フィリピ1:10

このより重要なことを見極めると言う部分です。前後の文脈を見るとパウロがフィリピの人々にライフスタイルを説き勧めている部分で出てきます。

より重要なことを見極める。つまりは無駄なことに手を出さない。エッセンシャル思考の本を読んだ時これだなぁと思いました。

 

クリスチャンの社会と言っても、かなり自由なので各国や文化が色濃くその中に反映されます。日本、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、みんな違う生まれ育った背景と文化があり、その影響を受けた雰囲気が各地で形成されます。NOと言えない日本人。クリスチャン社会でも日本では多々見られます。しかしそんな中、より重要なことを見極めるとNOと言えるようになります。重要と思えることにもランク付けがあり、重要なことを1つ挙げてくださいと言われて、5個も10個も挙げる人は重要なことを見極めれていない人です。

この聖書の言葉は、重要なことを見極めるではなく、より重要なことを見極めるとなっています。このことをよく考えることで、シャープな生き方を追求することを目標にできます。できているとは死んでも言えませんわ。日々がんばるだけでしょう。

この聖書の言葉の後半部分とかもいいんですよね。「人の信仰を妨げることがありませんように」つまり何が重要か見極めれていない人は人のことばっか手を出す。私は人を助けているとか、問題に対して声を上げるのは賢明な選択とかいう自己満全開で親切の押し付けをする人がいますね。人のことばっか気になっていたら自分の思考力も無駄遣いしていることで、思考のチャンネルを切り替えましょう。また、そういう人が周りにいたらあまり関わり合いにならんことですね。聖書の別の言葉でこうあります。

「だまされてはなりません。悪い交友は良い習慣を台無しにします。」-コリント第一15:33

自分がどんな人になりたいか。エッセンシャル思考な人になりたければ、人のことばっか手を出している人とは交友を避けたほうがいいですね。時間の無駄です。クリスチャン内であってもそうです。

 

その3:友達を大切にしよう

最近よく思うのが友達を大切にすること。こういうと抽象的すぎるんですが、友達でも悪い友達や、どうでもいい友達、親友などいろいろな友達がいます。どの友達を大切にするかなんですが、親友の定義はこちらで

「真の友はどんな時にも愛を示す。苦難の時に頼れる兄弟である。」-格言17:17

どうでもいい友達は苦しい時には避けていきます。助けに来るどころか音信不通になる、攻撃してくるとかろくなことがないです。最近思うのが、苦しいだろうなと思ってサポートすると、恩を仇で返す行為をしてくる人とか。こういう人やばいですね。

価値観が違うのでしょうね。この価値観のギャップがある友人関係はあまり長続きしないし、価値観が変わると友人は友人ではなくなることが多いですね。友人関係の片思いはしんどいですよね。こちらが仲良くしたい、愛情を示したいと思っても相手はこちらを道具や踏み台としか思っていない。

さっさと見切りつけたほうがいいですわ。

その豚に真珠的なエネルギーを、こいつやと思った人に対して存分に注いだほうが良くないですか?そのこいつやと思った人に対して、上記のように苦難の時に頼れる兄弟となる。そうありたいと思っています。

実際、聖書の中でイエスはこの考えを実際に具現化しています。

「友のために自分の命をなげうつこと,これより大きな愛はありません。」-ヨハネ15:13

イエスの生涯は人のために自分の命を犠牲にする人生でした。このイエスの生き方はかっこいいなぁと思ったのが聖書に興味を持ったきっかけでした。

聖書は交友に関していろいろなアドバイスがあります。

「賢い人たちと共に歩むと賢くなり,愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う。」-格言13:20

友達言うても色々いるんでそこはきちんと判断せなあきませんね。

 

聖書おすすめの箇所と聖句

そんなこんなでかなり独断と偏見に満ちた内容になりましたが、ざっくりと紹介させていただきました。

本当に自分が好きな部分をピックアップしただけです。

 

聖書の勉強がしたいと言う方はこちらをご残照ください。

聖書研究、なにそれ?おいしいの?