イエス・キリスト,  聖書

聖書中の12使徒はどんな人たちだったのか

12使徒というのは、イエスが選んだ12人の代表的な弟子たちです。

その記述は聖書の二か所に書かれています。

「イエスは山に登り,自分が望む人たちを呼び寄せた。 そして12人を選び,使徒と呼んだ。自分に同行させ,伝道に遣わし,邪悪な天使を追い出す権威を与えるためである。選ばれた12人は,イエスがペテロとも呼んだシモン, ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ(イエスはこの2人に,「雷の子たち」を意味するボアネルゲスという名前を与えた), アンデレ,フィリポ,バルトロマイ,マタイ,トマス,アルパヨの子ヤコブ,タダイ,熱心な人シモン,そしてユダ・イスカリオテであり,この人は後にイエスを裏切った。」-マルコ3:13-19

 

「こうしたある日のこと,イエスは祈りをするため山に出ていき,夜通し神に祈った。夜が明けると,弟子たちを自分の所に呼び,その中から12人を選び,使徒と呼んだ。イエスがペテロとも呼んだシモン,その兄弟アンデレ,ヤコブ,ヨハネ,フィリポ,バルトロマイ,マタイ,トマス+,アルパヨの子ヤコブ,熱心な人と呼ばれるシモン,ヤコブの子ユダ,そしてユダ・イスカリオテであり,この人は後に反逆者となった。」-ルカ6:12-16

他の資料を見ると何の根拠もない伝承で各人のプロフィールを書いているようですが、そういう資料ってないんですよね。

イエスの12使徒は全員殉教したみたいな、イエスの弟子になると非業の死を遂げた的などこにも証拠がない根拠を出すのはいかがなものかと思う。

死に方が記載されているのは2人だけで、ヤコブが処刑されて、ユダ・イスカリオテが自殺失敗で崖から転落死。それ以外の人の死に際とか信頼できる記録はないんです。

 

目次

聖書からわかる12使徒のプロフィール

ネット上に不正確な情報があまりにも多いので聖書中からの12人の情報を要約してみました。

マルコの記述とルカの記述は同一人物の名前を挙げていますが、ここではマルコが使った名称ですすめていきます。

 

ペテロ

ヘブライ語:シメオン

ギリシャ語:シモン

セム語:ケファ

出身:ベツサイダ、その後カペルナウムに移り住む

「フィリポは,アンデレやペテロの町ベツサイダから来ていた。」-ヨハネ1:44

「それからイエスはガリラヤの町カペルナウムに下っていき,安息日に人々を教えていた。」-ルカ4:31

「イエスは会堂を出てから,シモンの家に入った。」-ルカ4:38

職業:個人の漁師ではなく事業者として複数人数で運営している規模の漁師

「イエスがガリラヤ湖の岸辺を歩いていると,2人の兄弟,ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが湖に網を投げていた。2人は漁師だった。」-マタイ4:18

「それで,もう一方の舟にいる仲間たちに合図をし,助けに来てもらった。両方の舟は魚でいっぱいになり,沈みかけた。」-ルカ5:7

既婚者で妻もクリスチャン

「私たちには,ほかの使徒や主の弟たちやケファと同じように,クリスチャンの妻を伴う権利があります。そうではないでしょうか。」-コリント第一9:5

 

イエスとの関係

ペテロはイエスの初期からの弟子でした。

出会い

「アンデレはまず自分の兄弟シモンを見つけて,言った。「私たちはメシア(「キリスト」という意味)を見つけた」。 42 そしてシモンをイエスの所に連れていった。イエスは彼を見て,言った。「ヨハネの子シモン,あなたはケファ(「ペテロ」と訳される)と呼ばれます」。」-ヨハネ1:41,42

イエスの奇跡を垣間見て追随者となる

「話し終えると,シモンに言った。「沖に乗り出し,網を下ろして漁をしなさい」。しかしシモンは答えた。「先生,一晩中働いて何も捕れませんでした。それでも,おっしゃる通り,網を下ろしてみます」。 下ろしてみると,非常に多くの魚が掛かった。網が裂け始めるほどだった。 7 それで,もう一方の舟にいる仲間たちに合図をし,助けに来てもらった。両方の舟は魚でいっぱいになり,沈みかけた。シモン・ペテロはこれを見てイエスの前にひれ伏し,「私から離れてください,主よ。私は罪深い男なのです」と言った。 大漁だったので,シモンも一緒にいた人も非常に驚き,圧倒されてしまったのである。シモンの仲間であるゼベダイの息子たち,ヤコブとヨハネも同様だった。しかしイエスはシモンに言った。「恐れることはありません。今後,あなたは人を生きたまま捕るのです」。この人たちは舟を陸に戻し,一切のものを捨ててイエスの後に従った。」-ルカ5:4-11

特別な機会にイエスに同行するよう毎回招かれた

・イエスの変貌

「6日後,イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて,高い山に登った。そして3人の目の前でイエスの姿が変わった。顔は太陽のように輝き,外衣は光のように明るく輝いた。」-マタイ17:1,2

・ヤイロの娘の復活

マルコ5:22-42

・ゲッセマネの園

マタイ26:36-47

・イエスが事物の体制の終結の話をする

「イエスがオリーブ山の上で神殿が見える所に座っていた時,ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,アンデレだけが来て尋ねた。「教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。それら全ての終結が近いことを示すしるしは何ですか」。」-マルコ13:3,4

 

イエスを三度否認する

「さて,ペテロが外で中庭に座っていると,召し使いの女性がやって来て,「あなたも,ガリラヤ人のイエスと一緒にいました!」と言った。しかしペテロは皆の前でそれを否定し,「何のことを話しているのか,分からない」と言った。ペテロが門の方に出ていくと,別の女性が気付き,そこにいる人たちに,「この人はナザレ人のイエスと一緒にいました」と言った。 ペテロは再びそれを否定し,「そんな人は知らない!」と誓って言った。しばらくして,周りに立っていた人たちが寄ってきて,ペテロに言った。「確かにあなたも彼らの仲間だ。なまりではっきり分かる」。 その時ペテロは,「そんな人は知らない!」と言い,うそなら神罰を受けてもいいと誓い始めた。するとすぐに,おんどりが鳴いた。ペテロは,「おんどりが鳴く前に,あなたは3度,私を知らないと言います」とイエスから言われたことを思い出した。そして,外に出て激しく泣いた。」-マタイ26:69-75

 

復活したイエスと個人的に1対1で会う

「「主は本当に生き返って,シモンの前に現れたのだ!」と言っていた」-ルカ24:34

「ケファの前に現れ,それから12人の前に現れたことです。」-コリント第一15:5

 

イエスの追随者たちを世話する責務を与えられる

「弟子たちが朝食を終えると,イエスはシモン・ペテロに言った。「ヨハネの子シモン,これら以上に私を愛していますか」。ペテロは答えた。「はい,主よ,私があなたに愛情を抱いていることをあなたは知っています」。イエスは言った。「私の子羊を養いなさい」。 また2度目に,「ヨハネの子シモン,私を愛していますか」と言った。ペテロは答えた。「はい,主よ,私があなたに愛情を抱いていることをあなたは知っています」。イエスは言った。「私の小さな羊を世話しなさい」。 そして3度目に,「ヨハネの子シモン,私に愛情を抱いていますか」と言った。3度目に,「私に愛情を抱いていますか」と言われ,ペテロは悲しくなって,こう言った。「主よ,あなたは全て分かっています。私があなたに愛情を抱いていることを知っています」。イエスは言った。「私の小さな羊を養いなさい。」-ヨハネ21:15-17

 

西暦33年イエスの死以降の活動

・ペンテコステの日に代表して話し、その日だけで3000人の弟子が加わる。

使徒2章

・ユダヤ人最高法廷へ連行され弁明する。

使徒4章

・ユダヤ人ではない人々が信徒になるカギとなる。

サマリア人への扉を開く-使徒8:14-17

非ユダヤ人全般に対しての扉を開く-使徒10,11章

・西暦44年ヤコブが処刑された後捕縛され、その後エルサレムを離れる

使徒12:1-17

・西暦49年ころエルサレムで主だった人たちによる割礼の問題が扱われたときにその場にいた

使徒15章

・パウロはペテロを組織の柱とみなした

「柱と見なされていたヤコブとケファとヨハネが,私とバルナバと握手を交わし,こうして私たちは異国の人々の所へ,彼らは割礼を受けた人たちの所へ行くことになりました。」-ガラテア2:9

・ペテロは目立ってはいたものの首位権はなかった。

「エルサレムにいる使徒たちは,サマリアの人々が神の言葉を受け入れたことを聞くと,ペテロとヨハネを遣わした。」-使徒8:14

・西暦62-64頃ペテロ第一、第二の手紙をバビロン付近で書く

 

ペテロが滞在した都市の記録

・エルサレム及びガリラヤ等イスラエル近辺

・シリアのアンティオキア

・バビロン

ペテロがローマに行ったという記述はありません。

 

ペテロは殉教したのか?

伝承上は殉教したことになっていますが、証拠はありません。

また、どこで死亡したかの記述もありません。

 

ペテロの性格

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書の中の記述で弟子たちの中で一番発言が多いのがペテロです。

そこから垣間見えるのは、活発でやや衝動的に発言する性格です。

強い好奇心と積極的な思考がもとでなされる行動が聖書に記載されることによって、後代の読者である私たちに多くの情報を提供してくれる役割を果たしてくれています。

発言が多いゆえに強制や戒めの記述が多い人でもあります。代表事例としてはイエスを叱責して、逆に矯正を受けた記述があります。

「すると,ペテロはイエスを脇に連れていき,「主よ,自分を大切にしてください。決してそのような目には遭いません」と言って,叱り始めた。しかし,イエスはペテロに背を向けて言った。「私の後ろに下がれ,サタン! あなたは私の邪魔をしています。神の考えではなく,人間の考えを抱いているからです」。」-マタイ6:22

自信過剰と人への恐れという弱点はありましたが、それを補って余りある魅力に富む人でした。

矯正を受けてもあきらめずに前に向かって走り続ける様子は人の心を打ち、その様は不屈の精神の持ち主と言えます。

 

ゼベダイの子ヤコブ

異名:ボアネルゲス(セム語)

親族:使徒ヨハネの兄弟、母サロメ、イエスのいとこかもしれない

職業:それなりの規模の漁業従事者

死去:西暦44年 ヘロデ・アグリッパ1世によって処刑、12使徒の中の最初の殉教者。

 

イエスとの関係

西暦30年ヤコブが漁業に従事していた時にイエスから弟子となるよう招待を受けます。

「イエスはそこから歩いていき,別の2人の兄弟,ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを目にした。2人は父親のゼベダイと舟にいて,網の手入れをしていた。イエスが呼ぶと,2人は直ちに舟と父親を残して後に従った。」-マタイ4:21,22

 

特別な機会にイエスに同行するよう毎回招かれた

・イエスの変貌

「6日後,イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて,高い山に登った。そして3人の目の前でイエスの姿が変わった。顔は太陽のように輝き,外衣は光のように明るく輝いた。」-マタイ17:1,2

・ヤイロの娘の復活

マルコ5:22-42

・ゲッセマネの園

マタイ26:36-47

・イエスが事物の体制の終結の話をする

「イエスがオリーブ山の上で神殿が見える所に座っていた時,ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,アンデレだけが来て尋ねた。「教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。それら全ての終結が近いことを示すしるしは何ですか」。」-マルコ13:3,4

 

西暦33年イエスの死以降の活動

「その頃,ヘロデ王は会衆のある人たちを虐待し始め,ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」-使徒12:1,2

西暦44年ヘロデ・アグリッパ1世によって処刑されました。

ヤコブの性格

イエスはヤコブとヨハネに「ボアネルゲス」(雷の子ら)の異名を与えます。

「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ(イエスはこの2人に,「雷の子たち」を意味するボアネルゲスという名前を与えた)」-マルコ3:17

このボアネルゲスという異名はヤコブとヨハネの激しい熱意を反映しているようです。

以下の記述にヤコブの性格が記載されています。

 「そして,先に使者を遣わした。使者たちは出掛け,イエスのために準備をしようとサマリア人の村に入った。しかし人々はイエスを迎え入れなかった。イエスがエルサレムへ行こうとしていたからである。 弟子のヤコブとヨハネはこれを見て,言った。「主よ,お望みでしたら,天から火が下るよう求めて彼らを滅ぼし尽くしましょうか」。しかしイエスは振り向いて2人を叱った。」-ルカ9:52-55

はっきり言って、ヤコブとヨハネはこの時キレていますね。聖書の記述だからこんな表現になっていますけど、実際はどう言っていたものやら。かなり過激です。

別の見方では義に熱い、情熱的と言えます。

「その時,ゼベダイの息子たちの母親が息子2人と共に,敬意を表しながら,あることを求めようとしてイエスに近づいた。 イエスは言った。「願いは何ですか」。母親は言った。「この息子たちがあなたの王国で1人はあなたの右に,1人は左に座れるようにしてください」。イエスは答えた。「あなたたちは,自分が何を求めているか分かっていません。私が飲もうとしている杯から飲むことができますか」。2人は,「できます」と言った。」-マタイ20:20-22

かなり野心的だったようですね。

 

聖書の記述を読むとヤコブは情熱的で熱い男だったということがわかります。

 

ヤコブはスペインまで行ったのか?

伝説レベルのネタです。

スペインにサンティアゴ・デ・コンポステーラという町があり。中世からその街には巡礼者が多く訪れます。wiki見たらこうあります。

聖ヤコブの遺骸が祭られているため、古くからローマ、エルサレムと並んでカトリック教会で最も人気のある巡礼地であり世界中から巡礼者が絶えない。

引用:wiki

何の証拠もないけどヤコブの遺骸があると言いきっちゃっています。

 

ヤコブの伝説

イエスの死後スペインまで行って宣教したという話らしいが、西暦33年のイエスの死、西暦44年のヤコブの死。11年間でスペインに行ったんでしょうかね。

パウロが西暦47年ころ開始した宣教旅行で回ったのがキプロス、ペルガ(トルコ)、ピシデアのアンティオキア、イコニオム等主にトルコを回っています。

ここでgoogleマップを見てみましょう

googlemap

仮に西暦33-44年の間にヤコブがスペインまで行ったとして、なんで?って感じですよね。

手前にまだまだ宣教が徹底されていない場所が山ほどある中で、なんでこんな遠くまで?

神様の導きですと答えられたら元も子もないけど、ヤコブがスペインに言った証拠となる資料は現存していません。

 

さらに、ヤコブが死んだのはエルサレム。そこから遺体をわざわざサンティアゴ・デ・コンポステーラまで運びますか?

ちなみに、地図上の計測では車で直線的にエルサレムからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで5691km。

まぁこの距離で交通の便の悪い古代だと、腐乱死体確定でウジが湧きますわな。1か月以内で到着できる距離ですかね?

そして運ぶとしたら何のために?

イエスの遺骸ですら、エルサレムで処刑されてエルサレムに埋葬されています。

何故ヤコブの遺骸をそんな遠くまで運ぶ必要があったのか?

そしてそんなわけわからんイベントがあれば、聖書に記載されること間違いないクラスのイベント事だと思うけど、

聖書の中にはヤコブは殺されたというだけのシンプルな記載しかない。

ヤコブの遺骸をスペインまで運んだという証拠、信頼できる記述は現存していません。

 

なぜ、サンティアゴ・デ・コンポステーラにヤコブの遺骸があるとされているかは簡単に言うと政治的な利用です。

神話、伝説を利用してイスラム教徒と戦争したようです。

 

ゼベダイの子ヨハネ

異名:ボアネルゲス(セム語)

親族:使徒ヤコブの兄弟、母サロメ、イエスのいとこかもしれない

職業:それなりの規模の漁業従事者

 

イエスとの関係

西暦30年ヤコブが漁業に従事していた時にイエスから弟子となるよう招待を受けます。

「イエスはそこから歩いていき,別の2人の兄弟,ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを目にした。2人は父親のゼベダイと舟にいて,網の手入れをしていた。イエスが呼ぶと,2人は直ちに舟と父親を残して後に従った。」-マタイ4:21,22

 

最後の晩餐の時、イエスの横の場所を得ていた。

「弟子の1人でイエスが愛する人が,イエスのそばに横になっていた。」-ヨハネ13:23

このイエスのそば、直訳では懐となっていますが、1世紀当時懐の位置とは最も親しい人が占める場所でした。

 

イエスの母マリアの世話を託される

「イエスは,自分の母親と,愛する弟子がそばに立っているのを見て,母親に言った。「見なさい,あなたの子です!」  次に,その弟子に言った。「見なさい,あなたの母親です!」 その時から,その弟子はイエスの母親を自宅に引き取った。」-ヨハネ19:26,27

イエスの死の際、イエスの兄弟たちはイエスへの信仰を示しておらず、それら肉親よりもヨハネを信頼して母親の世話を任せたという記述です。かなり信頼されていた様子がうかがえます。

 

特別な機会にイエスに同行するよう毎回招かれた

・イエスの変貌

「6日後,イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて,高い山に登った。そして3人の目の前でイエスの姿が変わった。顔は太陽のように輝き,外衣は光のように明るく輝いた。」-マタイ17:1,2

・ヤイロの娘の復活

マルコ5:22-42

・ゲッセマネの園

マタイ26:36-47

・イエスが事物の体制の終結の話をする

「イエスがオリーブ山の上で神殿が見える所に座っていた時,ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,アンデレだけが来て尋ねた。「教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。それら全ての終結が近いことを示すしるしは何ですか」。」-マルコ13:3,4

 

西暦33年イエスの死以降の活動

ペテロと一緒にユダヤ人の支配者たちの前で複数回弁明。

使徒4:19,205:27-32

ステファノの殉教後エルサレムで大規模迫害が発生。多くの弟子がエルサレムを離れる中、ヨハネはエルサレムに留まった。-使徒8:14

西暦98年ごろ宣教をしたことが理由でパトモス島へ流刑にされる。そこで聖書巻末である啓示の書を書く。

「私ヨハネは,皆さんの兄弟であり,イエスと結び付いて皆さんと共に苦難に遭い,王国を約束され,忍耐している。神について語り,イエスについて証言したために,パトモスという島にいた。」-啓示1:9

ヨハネによる福音書、ヨハネ第一、第二、第三の手紙の筆者

使徒たちの中で最も長生きしたと言われている。

 

ヨハネの性格

イエスはヤコブとヨハネに「ボアネルゲス」(雷の子ら)の異名を与えます。

「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ(イエスはこの2人に,「雷の子たち」を意味するボアネルゲスという名前を与えた)」-マルコ3:17

このボアネルゲスという異名はヤコブとヨハネの激しい熱意を反映しているようです。

以下の記述にヨハネの性格が記載されています。

 「そして,先に使者を遣わした。使者たちは出掛け,イエスのために準備をしようとサマリア人の村に入った。しかし人々はイエスを迎え入れなかった。イエスがエルサレムへ行こうとしていたからである。 弟子のヤコブとヨハネはこれを見て,言った。「主よ,お望みでしたら,天から火が下るよう求めて彼らを滅ぼし尽くしましょうか」。しかしイエスは振り向いて2人を叱った。」-ルカ9:52-55

はっきり言って、ヤコブとヨハネはこの時キレていますね。聖書の記述だからこんな表現になっていますけど、実際はどう言っていたものやら。かなり過激です。

別の見方では義に熱い、情熱的と言えます。

「その時,ゼベダイの息子たちの母親が息子2人と共に,敬意を表しながら,あることを求めようとしてイエスに近づいた。 イエスは言った。「願いは何ですか」。母親は言った。「この息子たちがあなたの王国で1人はあなたの右に,1人は左に座れるようにしてください」。イエスは答えた。「あなたたちは,自分が何を求めているか分かっていません。私が飲もうとしている杯から飲むことができますか」。2人は,「できます」と言った。」-マタイ20:20-22

かなり野心的だったようですね。

またユダヤ人最高法廷に引きずり出されては弁論、それもかなり敵対的弁論をする様子を見ると、かなりパワフルな人物像が浮かび上がってきます。

ただ、彼の記した聖書の記述にやたらと出てくるのが愛。この情報からイメージしたのはやたらと熱い人だったのかなという感じですね。

自分の著作の中での記述、ニコデモが来た記述に「この男性が夜にイエスの所に来て,言った。」-ヨハネ3:2

わざわざ夜にこっそり来たことを記述しているのはヨハネだけです。さらに似たような記述でアリマタヤのヨセフに関する記述があります。

「こうしたことの後,アリマタヤのヨセフがピラトに,イエスの体を下ろさせてほしいと頼んだ。ユダヤ人たちを恐れてひそかにイエスの弟子となっていた男性である。」-ヨハネ19:38

このアリマタヤのヨセフの記述について言えば他の聖書筆者は総じて前向きな記載なんですけどね。こういうこっそり隠れてとか言うのがかなり嫌いだったようですね。そう考えると、人への恐れがかなり強かったペテロとよく行動を共にしていたのは非常に面白いですね。かたや人への恐れを激しく憎み、かたや人への恐れと常に戦っていた人。やはりここでも垣間見れるのは熱い人です。

 

アンデレ

兄弟:使徒ペテロ

出身:ベツサイダ、その後カペルナウムに移り住む

「フィリポは,アンデレやペテロの町ベツサイダから来ていた。」-ヨハネ1:44

職業:個人の漁師ではなく事業者として複数人数で運営している規模の漁師

「イエスがガリラヤ湖の岸辺を歩いていると,2人の兄弟,ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが湖に網を投げていた。2人は漁師だった。」-マタイ4:18

「それで,もう一方の舟にいる仲間たちに合図をし,助けに来てもらった。両方の舟は魚でいっぱいになり,沈みかけた。」-ルカ5:7

 

イエスとの関係

「また次の日,ヨハネは弟子2人と立っていて,イエスが歩いているのを見て,言った。「見なさい,神の子羊です!」弟子2人はそれを聞いてイエスに付いていった。」-ヨハネ1:35-37

「ヨハネが言ったことを聞いてイエスに付いていった2人のうちの1人は,シモン・ペテロの兄弟アンデレだった。」-ヨハネ1:40

もともとはバプテストのヨハネの弟子でしたが、そのヨハネの紹介でイエスの弟子となります。

「イエスがガリラヤ湖の岸辺を歩いていると,シモンとその兄弟アンデレが湖に網を投げていた。2人は漁師だった。 イエスは言った。「私に付いてきなさい。魚ではなく人を集める漁師にしてあげましょう」。 2人は直ちに網を捨てて後に従った。」-マルコ1:16-18

 

イエスが事物の体制の終結の話をしたときにその場にいた。

「イエスがオリーブ山の上で神殿が見える所に座っていた時,ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,アンデレだけが来て尋ねた。「教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。それら全ての終結が近いことを示すしるしは何ですか」。」-マルコ13:3,4

 

西暦33年イエスの死以降の活動

イエスの死後アンデレに関する記述はわずか一か所のみ。イエスの死後すぐのペンテコステの祭りの時に他の弟子たちと一緒にいた記述のみです。

「使徒たちは到着すると,滞在していた階上の部屋に上がった。ペテロ,ヨハネとヤコブとアンデレ,フィリポとトマス,バルトロマイとマタイ,アルパヨの子ヤコブと熱心な人シモン,ヤコブの子ユダである。」-使徒1:13

 

アンデレの性格

記述事項の少なさゆえに不明な部分が多いです。発言の記述もかなり少なく代表例は以下のものです。

「弟子の1人でシモン・ペテロの兄弟であるアンデレが言った。 「ここに大麦のパン5つと小さな魚2匹を持っている少年がいます。でも,これほど大勢では何になるでしょうか」。」-ヨハネ6:8,9

約5000人の男性プラス女性や子供にどうやって食事を出すかという議論の中での一言です。ただ、この発言ですが、私ならこの数千人に食事どうするかという状況で、少年がパン5つと小さな魚2匹持っていますという報告すらしないと思いますが、なぜかアンデレはそんな報告をしています。なぜか?明確な答えは聖書の中にありません。事前にフィリポが質問を受けていますがアンデレとフィリポは同郷でセットで二回ほど聖書中に出てきます。それが関係しているのかもしれませんが詳しくはわかりません。

というわけで、簡単に言うと情報が少なくよくわからないです。

 

フィリポ

出身地:ベツサイダ

「フィリポは,アンデレやペテロの町ベツサイダから来ていた。」-ヨハネ1:44

ヨハネの福音書にしかエピソードが出てこない。

 

イエスとの関係

イエスから直接弟子となるよう誘われる。

「次の日,イエスはガリラヤに向かおうとした。そしてフィリポを見つけ,「私の弟子になりなさい」と言った」-ヨハネ1:43

 

西暦33年イエスの死以降の活動

「使徒たちは到着すると,滞在していた階上の部屋に上がった。ペテロ,ヨハネとヤコブとアンデレ,フィリポとトマス,バルトロマイとマタイ,アルパヨの子ヤコブと熱心な人シモン,ヤコブの子ユダである。」-使徒1:13

イエスの死後他の弟子たちと西暦33年のペンテコステの祭り時に一緒にいたこと以外情報はありません。

 

フィリポの性格

慎重、用心深い性格だったようです。

「さて,崇拝のために祭りに来た人々の中にギリシャ人たちがいた。 その人たちは,ガリラヤのベツサイダの人フィリポの所に来て,「イエスに会いたいのですが」と頼み始めた。フィリポは行ってアンデレに伝え,2人は行ってイエスに伝えた。」-ヨハネ12:20-22

自分も12使徒の一人なのに、イエスと親しいアンデレを誘って近づく手段に慎重さが見られます。

「イエスは目を上げて大勢の人がやって来るのを見,「この人々が食べるパンをどこで買いましょうか」とフィリポに言った。彼を試すためにそう言ったのであり,どうするかは考えてあった。フィリポは答えた。「200デナリ分のパンでも足りません。一人一人にほんの少しずつ配ることもできないでしょう」。」-ヨハネ6:5-7

イエスにこう尋ねられたら私なら、無理ですと一言で終わりそうですが、この言い方には確かに慎重な姿勢が表れています。

 

バルトロマイ

別名:ナタナエル

出身地:ガリラヤのカナ

「シモン・ペテロ,双子と呼ばれるトマス,ガリラヤのカナの人ナタナエル,ゼベダイの子たち,それにあと2人の弟子が一緒にいた。」-ヨハネ21:2

 

イエスとの関係

「フィリポはナタナエルを見つけて,言った。「私たちは,モーセの律法と預言者の書に記されている人を見つけた。ヨセフの子で,ナザレから来たイエスだ」。 しかしナタナエルは言った。「何か良いものがナザレから出るだろうか」。フィリポは言った。「来れば分かる」。イエスは,ナタナエルがやって来るのを見て,彼についてこう言った。「見なさい,まさにイスラエル人,心に偽りがない人です」。ナタナエルは言った。「どうして私のことを知っているのですか」。イエスは答えた。「フィリポがあなたを呼ぶ前に,あなたがイチジクの木の下にいるのを見ました」。それでナタナエルは言った。「ラビ,あなたは神の子です。イスラエルの王です」。」-ヨハネ1:45-49

フィリポの紹介でイエスに会い、心の内の良い部分を高く評価されて感動し弟子となる。

 

西暦33年イエスの死以降の活動

「使徒たちは到着すると,滞在していた階上の部屋に上がった。ペテロ,ヨハネとヤコブとアンデレ,フィリポとトマス,バルトロマイとマタイ,アルパヨの子ヤコブと熱心な人シモン,ヤコブの子ユダである。」-使徒1:13

イエスの死後他の弟子たちと西暦33年のペンテコステの祭り時に一緒にいたこと以外情報はありません。

 

バルトロマイの性格

「イエスは,ナタナエルがやって来るのを見て,彼についてこう言った。「見なさい,まさにイスラエル人,心に偽りがない人です」。」-ヨハネ1:47

特筆すべきはイエスに高く評価された正直さです。

 

マタイ

別名:レビ

職業:収税人

 

イエスとの関係

イエスは宣教の初期のころ、カペルナウムかその近くの収税所にいたマタイを弟子になるよう誘いました。

「次いで,イエスはそこから歩いていく途中で,マタイという男性が徴税所に座っているのを見掛け,「私の弟子になりなさい」と言った。するとマタイは立ち上がって,イエスの後に従った。」-マタイ9:9

マタイはイエスを盛大にもてなし、そこに収税人や罪人も参加していたことを非難される。

「レビは一切のものを後に残して立ち上がり,イエスの後に従うようになった。そしてイエスのために自分の家で盛大な宴会を設けた。大勢の徴税人その他の人たちも一緒に食事をしていた。パリサイ派の人やその律法学者たちがイエスの弟子たちに向かって不満を口にし始め,「徴税人や罪人たちと食べたり飲んだりするのはどうしてか」と言った。イエスは答えた。「健康な人に医者は必要ではなく,病気の人に必要なのです。私は,正しい人ではなく罪人を悔い改めに導くために来ました」。」-ルカ5:28-32

 

西暦33年イエスの死以降の活動

「使徒たちは到着すると,滞在していた階上の部屋に上がった。ペテロ,ヨハネとヤコブとアンデレ,フィリポとトマス,バルトロマイとマタイ,アルパヨの子ヤコブと熱心な人シモン,ヤコブの子ユダである。」-使徒1:13

イエスの死後他の弟子たちと西暦33年のペンテコステの祭り時に一緒にいたこと以外情報はありません。

 

西暦41年ごろマタイによる福音書を書き記しました。

 

マタイの性格

福音書内マタイの記述は少ないですが、書き記した書から彼の性格を察することができます。

貨幣の数や価値をきっちり記載する元収税人らしさ-マタイ 17:27; 26:15; 27:3

神の憐れみに対して非常に深い感謝していた。マタイだけがイエスが犠牲とともに憐れみも必要なことを繰り返し強調されたと伝えている。

-9:9‐13; 12:7; 18:21‐35

 

トマス

データなし

 

イエスとの関係

イエスが石打ちで殺されそうになった後に再度ユダヤ地方に入る前に言った一言

「そこで,双子と呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って,共に死のうではないか」。」-ヨハネ11:16

イエスの死の前までにトマス個人に関しての記述はこれのみです。

 

西暦33年イエスの死以降の活動

イエスの死後、復活の際、疑念を声高々に表明したので、あまり聖書に登場して来ない12使徒の中では

疑念を抱いたトマスというあまりうれしくない評判を与えられてしまう結果となる。

そのあとイエスに会ったときの態度の豹変ぶりは人間臭くて非常にいい。

 

トマスの性格

トマスは自分の感情を表わしたり,あるいは疑いを口に出したりする際にいささか衝動的な人であったようです。しかし,いったん疑いが取り除かれると,自分の信仰を認めることをためらいませんでした。

「そこで,双子と呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って,共に死のうではないか」。」-ヨハネ11:16

「12人の1人で,双子と呼ばれるトマスは,イエスが現れた時,その場にいなかった。それでほかの弟子たちはトマスに,「私たちは主を見た!」と言っていた。しかしトマスは言った。「その手にくぎの痕を見て,私の指をくぎの痕に入れ,手をその脇腹に当ててみない限り,決して信じない」。」-ヨハネ20:24,25

思ったことを率直に言うタイプの方で、

ネガティブなこともポジティブなことも率直に発言する人ですね。

 

アルパヨの子ヤコブ

別名:小ヤコブ

 

イエスとの関係

どのタイミングでどのように弟子になったか不明

 

西暦33年イエスの死以降の活動

「使徒たちは到着すると,滞在していた階上の部屋に上がった。ペテロ,ヨハネとヤコブとアンデレ,フィリポとトマス,バルトロマイとマタイ,アルパヨの子ヤコブと熱心な人シモン,ヤコブの子ユダである。」-使徒1:13

イエスの死後他の弟子たちと西暦33年のペンテコステの祭り時に一緒にいたこと以外情報はありません。

 

ヤコブの性格

不明。父親のアルパヨとクロパという人が同一人物と確たる証拠はないですが考えられており、

これといった証拠はないですが伝承によればアルパヨの子ヤコブはイエスのいとこだとも考えられています。

 

この人に関してはほぼ資料がないです。

 

タダイ

別名:ヤコブの子ユダ

イエスとの関係

どのタイミングでどのように弟子になったか不明

 

西暦33年イエスの死以降の活動

「使徒たちは到着すると,滞在していた階上の部屋に上がった。ペテロ,ヨハネとヤコブとアンデレ,フィリポとトマス,バルトロマイとマタイ,アルパヨの子ヤコブと熱心な人シモン,ヤコブの子ユダである。」-使徒1:13

イエスの死後他の弟子たちと西暦33年のペンテコステの祭り時に一緒にいたこと以外情報はありません。

 

タダイの性格

聖書中で一回だけ彼の発言が取り上げられている箇所があります。

「イスカリオテでないユダが言った。「主よ,私たちには自分のことをはっきり知らせようとし,世の人々にはそうしようとしない,というのはどういうことですか」。」-ヨハネ14:22

これだけでは非常に情報が限られており、その性格を推測することは難しいですね。

 

熱心な人シモン

別名:カナナイ人シモン

カナナイというのは地名ではなく、アラム語から来ていると考えられており,「熱心党の人; 熱心者」という意味のギリシャ語ゼーローテースに相当するようです。

 

イエスとの関係

どのタイミングでどのように弟子になったか不明

 

西暦33年イエスの死以降の活動

「使徒たちは到着すると,滞在していた階上の部屋に上がった。ペテロ,ヨハネとヤコブとアンデレ,フィリポとトマス,バルトロマイとマタイ,アルパヨの子ヤコブと熱心な人シモン,ヤコブの子ユダである。」-使徒1:13

イエスの死後他の弟子たちと西暦33年のペンテコステの祭り時に一緒にいたこと以外情報はありません。

 

シモンの性格

12使徒の中で最も記述が少ない人で、全く情報がありません。

聖書中に彼の発言は一度も出てきませんので、性格も推測しかねます。

 

ユダ・イスカリオテ

出身地:ケリヨト・ヘツロンというユダヤの町と理解されている

 

イエスとの関係

どのように弟子となったかは未記載。最初に名前が出てくるのが12使徒を選ぶときの記述中にユダの名前が出てきます。

「とはいえ,ユダがそう言ったのは,貧しい人たちのことを気に掛けていたからではなく,彼が泥棒で,管理していた金箱からよく盗んでいたからだった。」-ヨハネ12:6

イエスのグループの金銭管理をしていたようです。12使徒の中にもともと収税人で金感情が得意なマタイがいることを考えると、ユダはよっぽど信頼されていたことが見て取れます。

ただ、ここにも書かれていますが、いつからかわかりませんがその管理していたお金を盗んでいたようです。

 

西暦32年の過ぎ越しの祭りが近づくころイエスは名指しではないですがユダを糾弾しました。

「イエスは答えた。「私があなたたち12人を選んだのではありませんか。しかし,あなたたちの1人は中傷する人です」。イエスは,シモン・イスカリオテの子ユダについて話していたのである。この人は12人の1人でありながらイエスを裏切ろうとしていた。」-ヨハネ6:70,71

 

イエスを売る手はずを整える

「その時,12人の1人でユダ・イスカリオテという人が,祭司長たちの所に行き,こう言った。「イエスを裏切って渡したら,何をくれますか」。祭司長たちは銀30枚を与えることにした。それ以降,ユダは裏切る良い機会をうかがい続けた。」-マタイ26:14-16

 

最後の晩餐に出席し、イエスに足を洗ってもらう。

 「食事が進んでいたが,悪魔はすでに,シモンの子ユダ・イスカリオテにイエスを裏切る考えを抱かせていた。 イエスは,父が全てのものを与えてくださったことと,自分が神のもとから来て神のもとに行こうとしていることを知っていて,食事の席から立ち,外衣を脇に置いて,拭き布を取って腰にくくった。それから,たらいに水を入れて弟子たちの足を洗い,腰にくくった布で拭き始めた。」-ヨハネ13:2-5

 

暴徒を引き連れてイエスを捕縛しに来た

「イエスがまだ話しているうちに,12人の1人であるユダが来た。祭司長と民の長老たちに遣わされた大勢の人も,剣やこん棒を持って一緒に来た。さて,イエスを裏切る者は前もって合図を決め,「私が口づけするのがその人だ。捕まえろ」と言っていた。それで,真っすぐイエスの所に行き,「こんばんは,ラビ」と言って,優しく口づけした。しかしイエスは,「何のためにここにいるのですか」と言った。その時,人々が進み出,イエスを捕らえて拘束した。」-マタイ26:47-50

 

以下の二つの情報を総合して考えると自殺を試みるが失敗し、崖から落ちて転落死

「ユダは銀を神殿に投げ込み,去っていって首をつって死んだ。」-マタイ27:5

「(この人は悪い行いに対する報酬で土地を買い取りましたが,真っ逆さまに落ちて,体は裂け,内臓が全部出てしまいました。このことはエルサレムの全住民に知られるようになり,その土地は,アケルダマすなわち「血の土地」と呼ばれました。)」-使徒1:18,19

 

西暦33年イエスの死以降の活動

イエスの死とほぼ同時に死亡

 

ユダの性格

最初は信頼できる有能な人であったようですが、グループ管理のお金をネコババする等、晩年の貪欲さ、金のために他人を非難する等かなりあくどい人になっちゃったようです。

銀30枚つまり当時の奴隷一人の金額と同じ価格でイエスを売ったり、最後の晩餐にしれッとした顔でイエスに足を洗ってもらうあたり、かなりイエスを嫌うようになってしまってますね。

そしてイエスを売ってから、悔恨の情から自殺。イエスに対して悪いと思ったのではなく、無実の人を有罪にし、処刑という重罪を判決させる手助けをしたことに対する罪の意識のようです。

「その時,裏切り者のユダは,イエスが有罪とされたのを見て後悔し,銀30枚を祭司長と長老たちに返して,「私は無実の人を裏切って罪を犯した」と言った。その人たちは,「私たちの知ったことではない。あなたが始末すべきことだ!」と言った。ユダは銀を神殿に投げ込み,去っていって首をつって死んだ。」-マタイ27:3-5

 

マッテヤ

ユダが12使徒から向けた後、使徒職に補充された人。

 

イエスとの関係

いつ、どのように弟子となったかは不明

 

西暦33年イエスの死以降の活動

ユダの代わりとして使徒職に任じられる

「そこで兄弟たちは2人の人を候補に挙げた。バルサバと呼ばれ,別名ユストというヨセフと,マッテヤである。そしてこう祈った。「全ての人の心を知っておられるエホバ,この2人のうちどちらを選ばれたかをお示しください。この奉仕と使徒職を担う人をです。ユダはそれを捨てて自分の道を行きました」。こうして2人についてくじを引くと,くじはマッテヤに当たり,マッテヤは11人の使徒に加えられることになった。」-使徒1:23-26

 

マッテヤの性格

ユダの代わりに12使徒になったという記述以外彼の名前は出てきません。発言もありませんので性格を推測することは不可能です。

 

イエスの12使徒に関してのまとめ

12使徒に関して検索すると、意味不明な情報がたくさん出てきます。

ドラゴンをぶったおしただの、意味不明自己満奇跡を行った伝説などです。

それらは何の証拠もありません。

古代の書物にそう書いてあるとか仰られるかもしれませんが、

その古代の書物の内容自体がかなりファンタジーなんですよね。

いやいや、ゲームの世界か?という世界観を現実に起きたことととらえるのは難しいです。

イエスの復活に関する記述もファンタジーだろうと突っ込まれるかもしれませんが、ここでイエスの復活に関するテーマで書くにはテーマ違いだろうということでお願いします。

 

改めてこの資料を書くために情報をまとめたときに感じたことは、聖書は人の誕生日を本当に重視してないんだなということです。誰一人として誕生日の記述がないんですよ。本当に一人として記述がない。そう考えると、イエスの誕生日を祝おうとする風習が聖書に由来していないことは容易にわかります。

他にも色々ありますが、これまでにしとうございます。